2009年5月アーカイブ

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参加者目標6000名であったが

全国から7070名の薬剤師が宮崎に訪れ、大盛況の学術大会になった

開会式では東国原知事の記念講演もあり立ち見が出るほどのすごい賑わい

企業展示コーナーも大盛況、登録演題、ポスターセッションも過去最大となり、すべてに記録ずくめの大会となった

トータルで準備、会議に3年間かけた大会

コングレとのジョイントでの大会運営であったが

苦労したのは搬入、搬出のシステム、と企業展示の設営時間の調整

ほぼ2日間は徹夜状態だったが大会の大成功で疲れも心地よいものになった

シーガイアのスタッフからもお正月以上の賑わいですと言われたのが嬉しい驚き

日本薬剤師会の評価も大変高いものであった

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喜島会長、祐徳実行委員長、事務局の佐藤局長など皆さんの努力も大変なものがあったと思う

宮崎県内の薬剤師の方のスタッフ動員も500名を超えるという大規模なもの

本当にお疲れ様でした

私がフリーのプロデューサーになって最初の大会!いい仕事をさせていただきました


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宮崎市観光課から20回記念のコンサートなのでいい物にして欲しいとの依頼を受け、岩切賞の審査員でもある服部克久さんと話を進めていった

服部先生とは過去何回も仕事をしているので心強かったが、コンサートゲストは若い人にアピールできる人ということで要請を受けたが9月末にようやくゲストが決定

岩切章太郎の古いビデオをMRTの報道の協力で探してもらいそれを編集

永さんが作詞したフェニックスハネムーンなどを映像を流しながらゲストに歌っていただいた

ただ永さんが本番前にしゃべりたいと言ったのには皆あわてたが、持ち前のサービス精神だと考え、服部さんも快くOKのサイン

観客にとっても楽しいサプライズとなった

本当に歌がうまいが顔もでかい佐藤竹善

カメラ写りが抜群の安倍なつみ

大人の魅力 サーカスなどゲストのパワーも全開

地元ハマユウコーラスの中村先生のバイタリティあふれる指導にはいつも頭が下がる

本番で一生懸命に歌ってくれた安藤先生指導のキッズハーモニー

ハープを演奏してくれた菊池先生主催のリラの会の森田めぐみさん

映像とともに宮崎を紹介してくれた宮交バスガイド


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最後の服部さんアレンジの全員合唱ではゲストも一緒に観客全員素晴らしい感動に包まれた

オリジナリティあふれるコンサート構成は1800名、満員の観客を魅了したと思う

私にとっても思い出に残るコンサートになった

安倍なつみさんが今でも心に残るコンサートだったと言っていただくのがとても嬉しい


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世界1を目指すホンダロックをどう表現するか?これが私たちのプレゼンのテーマだった

今まで見た事がないような存在感のあるステージを作る

それがホンダロックのシンボルとして機能する

こんなプレゼンをしたと記憶している

ステージも3種類予算ごとにデザインして提出した

結果的にわれわれのプランが採用された

おそらくサミットでも今までで最大のステージではなかったかと思う

しかもドイツ製のカーテン地に映像を写し、VJでリアルタイムで色んな表現を

7つのスクリーンですることにしたのも画期的であったと思う

本田宗一郎の創業当時や歴史のビデオ、各国のアトラクションなど

ステージパフォーマンスも盛り上がった

来賓挨拶で東国原知事がこんな演出見た事がないとびっくりされたのもスタッフの苦労が報われた瞬間であった

世界各国のホンダロックの工場では宮崎弁が飛交っているというまさにグローカルを地で行く企業である

三神社長、実行委員の長友さん、池田さん、始め大変お世話になりました

50周年は更なる企画で挑戦してみたい!


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ソニーの納村部長や大日本印刷、ぐるなびなどの方が宮崎でキャンペーンをしたいと考えてる

気になるので遊びがてら説明会に出かけたのがきっかけ

たぶん11月だったように記憶している

日本で始めてのICカードを使った観光キャンペーン

しかもキャンプで観光客が多い2月にやりたいという

予算の持ち出しはないが事務局を引き受けて欲しいとのことであった

会議の雰囲気がほぼしり込み状態

これだけの大企業が宮崎の観光のためにお金を出して頑張ろうというのにもったいないなあ

様々な問題はあったものの宮崎の活性化のためになると判断してやりましょうという返事を打ち返した


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この時は、それから2ヶ月がこんな大変なことになろうとは夢にも思わなかった

宮崎県、宮崎市との整理、協力体制

カードデザイン、システムの勉強、チェックポイントの確定

参加店へのレクチャーなどやることは山ほどある

最終的には巨人軍などの協力もとれ何とかキャンペーンがスタート

キャンペーンスタート直前時にはチェックポイントの最後の可能性も含めチラシが3種類あるという凄いことになっていた

宮崎県立美術館で東国原知事、主催者などでテープカットを行いキャンペーンスタート

ここからの2ヶ月間も長かったが、ソニーの西村さん、大日本印刷の占部さん

スポーツビズのも宮崎に長期滞在でわれわれの仕事をサポートしていただいた

このキャンペーンは画期的だと様々なマスコミに取り上げられた

このキャンペーンの情熱を注いでいただいたソニーの納村さん、ぐるなびの溝上さん、大日本印刷の佐藤本部長

三和ニューテックの金内社長には心よりお礼を言いたい

私自身、チャレンジとは何かを再度認識できたキャンペーンだったと思う

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新床の引退、松坂の最後など話題は多かった歴史的なオールスターだったと思う

結果的にサンヨーの冠の最後のオールスターでもあった

地元実行委員会としての交通問題、輸送、警備体制、初めての試みのみやざき広場

日本野球機構とは広報、チケット販売管理、協賛スポンサーの整理、観客管理運営

中継をするTBSとはアトラクションの企画、調整など問題は山のようにあった


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当日は雨、九州はどしゃぶり状態で被害も出ているようだ

午後2時で中止を決定

順延は一度きりである

気もめいるが相当プレッシャーもかかる

次の朝 球場に向かうときはどしゃぶりである

仕事では運が強いと自認してきたさすがの私も少しこの時は弱気であった

球場で雨天レーダーを刻々と見守る

問い合わせの電話がじゃんじゃんかかる

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あれだけ降っていた雨が小雨に・・・・

そして雨天レーダーから12時半過ぎに雨雲が消えた

サンマリン球場スタッフが大急ぎで場内のコンディションを開始

NPBの東出部長、実行委員会の宮崎県、宮崎市と話して予定通り開催を決定

多くの観客が球場に集まり始めた

おかげでみやざき広場は大賑わい

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球場整備が遅れたため、観客入場も一騒動

当日アトラクションには地元ダンスチームも参加しスペシャルゲストのパフィで大いに盛り上がった

7回には花火も打ち上げ満員の観客には嬉しいサプライズのプレゼント

色んな問題点はありながらも宮崎で3年がかりのオールスターができて本当によかった

宮崎県の落合実行委員長、宮崎市の鈴木収入役、宮崎市のスポーツアドバイザーの河野社長始め、このプロジェクトに関わっていただいたすべての人に感謝の意を表したい

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試合はダルビッシュ、涌井、などパリーグの投手が圧巻!

ロゴマークは出水君にデザインさせたもの

スタッフT-シャツも作成しこれも好評だった

日本野球機構の東出部長とは何回か論議をやりやっとコミュニケーションが

取れだしたのもこの頃だったと思う

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高千穂町での開催ということで、日本のふるさと・神話の里をベースに考え

企画提案のキーワードは5つのH

 ホーム ホスピタリティ ハート ヒーリング ハンドメイド

アトラクションは神楽保存会のご協力も得て

舞い込み、迫力ある御芝の舞など今まで見た事がない神楽パフォーマンスを披露

そのあとには宮大創作ダンス研究会の神楽をモチーフにしたパフォーマンスダンス

そこに続く「宗次郎」さんの澄んだ音色と高千穂中学校の吹奏楽部のジョイント。

ラストは空から合唱の声が聞こえてくるイメージで子供たちに2階席から歌って

もらったのだが、これが大正解

上から降りてくる子供の合唱の声の感動すること!

思わず私も鳥肌が立ってしまった

常陸宮御夫妻、小池環境大臣などの大きな評価は県庁、高千穂町のスタッフの

士気を大いに盛り上げた

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「愛 地球博」のプレイベントとしての旅フェアのコンペに参加!

九州沖縄で何をテーマにするか再三再四打ち合わせを行った。

時代のトレンドも考え九州沖縄酒天国をはじめ、温泉・観光地という

コンセプトでブース展開を考えた

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大吟醸を楽しむ会でできた蔵元ルートを最大限に活用して

九州各県、沖縄にもご協力の要請を行い、幻の焼酎や入手困難な日本酒など

を集めることにご尽力いただいた。

おかげで試飲会は長蛇の列、嬉しい悲鳴となった。

また、FOMAを使用し、会場と現地の映像をつなぎ、九州・沖縄の有名な観光地なども紹介をしていった。

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ステージクイズや、ブースでのマンツーマンの観光PR、お酒のふるまいは、すべて各県のミスに活躍してもらった。

まるで花が咲いたように華やかで、終始活気が感じられた。

九州・沖縄の明るさを一気に噴出できたこのイベントは名古屋のテレビ局にも3度ほど取り上げられると言う反応の凄さ

ブースデザインも独自の存在感があり、来場者が選ぶ出展者の人気ランキングでは

なんと全国2位にランクインした。疲れが吹っ飛んだ瞬間だった

企画スタート時は、九州各県と沖縄すべてを幹事県としてどれだけまとめられるか不安だったが、

ゴール地点までの結束力は日々に増し、九州・沖縄のパワーは最強とまで思えた。

※将来九州・沖縄チームで世界に挑んでみたいなぁ。。。。有馬談

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プレゼンのコンセプトは I でつながるマルチメディア

数々の企画の評価を受けわれわれが勝ち取ることに・・・

情報政策課の松本課長は行動も早く様々な準備段階で機敏に対応していただき

本当に感謝をしている

一番目立つサミットホールにて企業展示を行い、3Fでシンポジウム

2Fのホワイエは総務省、宮崎県などの展示と

サミット全体でマルチメディアがわかるという会場構成を考えた

企業展示では数々の問題点を整理し、実行した田代君の仕事が光った

多くの企業参加出店により、コンパニオンなどから丁寧なアドバイスをうけ、

一生懸命に機械のよさを理解しようと努力している宮崎人も多くみられた

毛利さんの講演、東京の日本科学未来館からノーベル賞受賞者の小柴さんの衛星中継

新宿みやざき館のKONNEとの遠隔セッションなど、もりだくさんの内容であった。

入場者も予想以上の多さでにぎわった。

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ワールドカップのキャンプにドイツとスウェーデンが宮崎に来ることが決定

世界の一流サッカープレーヤーを目の前で見ることができ、感じられるという興奮!!

私の中では2度とないもの、初めてのものには異常に燃える!

何回ものブレストを経て徹夜作業を何日かやり

やっと企画プレゼンのぎりぎりで完成

内容、デザイン 我々自身の想いを非常に高く感じていただいたプレゼンであったと思う

結果、悲願のドイツチームキャンプの運営をやることが決定した


ドイツにおけるサッカー人気はすさまじく、取材体制も大掛かり

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毎日宮崎からドイツに衛星中継されるという凄さ

そのメディアセンターのディスプレイも受注

日本的な竹や花などをうまくレイアウトしてプレスの方たちの評判も

好評だった

相当集客が見込まれたため、連日導線のシュミレーションなどに念入りに時間を割いたが

FIFA?からの日々要請で、練習をなかなか県民に見せる時間が短く、運営にも苦労したことが一番残念だった。

宮崎でワールドカップの出場チームが二国(ドイツ・スゥエーデン)キャンプした事実は、

国内のプロ野球キャンプやサッカーキャンプのみならず、世界にスポーツランド宮崎が確固たる地位を

築きあげたといっても過言でない。

その上、結果的にドイツチームが大会第2位になったことで宮崎県民の喜びは一気に膨れ上がった

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初めて宮崎で行う大会の開会式とパーティを同時に行いたいと言うのが

事務局の考え方

日本陸連とも話し合いを行いながら高円宮の行幸啓も含めて調整して行った

各種目ごとにイメージ選手がいるので演出のやり方を検討したが

各選手のプロフィールと競技種目を映像でつなぎ映像キューでイメージ選手が登壇する

シーンを作った

リハーサルもほとんどできない状態で心配したがさすが皆さん大物!

本番に強い!!

映像とうまくリンクしたスマートなイメージの選手紹介ができたと感じる

素敵な照明で演出してくれた倉田さんには大感謝!

最後の全員合唱では大変な盛り上がり

高円宮御夫妻も上機嫌で皆さんと打ち解けた対応をしていただき本当に助かった

この大会のあとしばらくして高円宮殿下が亡くなられた

スポーツが大好きな殿下で非常に気さくな方だっただけに残念である

ご冥福をお祈りしたい

プレスレセプションをやって欲しいとの依頼がサミット推進局から・・・・

中馬局長からの要望をしっかりレクチャーを受け

宮崎の代表的にな郷土芸能(しかもあまり見たことがないもの)

 銀鏡神楽

 城攻め踊

 合唱

 太鼓


食事のメニューは

できるだけローカルフードを入れたメニューでおもてなしを考慮した

英訳には予想以上に苦労したが・・・・・

舞台セットは両袖にビジョンを入れた木目基調の大掛かりなもの

宮崎観光ホテルの歴史でも今までの最大のステージとなった

ステージ上には宮崎県出身の琳派 山内多門のイラストをモチーフにディスプレイ

山内多門は中馬局長の発案、


各国の記者たちも宮崎らしいもてなしに大満足

トータルの企画、進行に政府からも大いに評価された国際的な事業であった

私が出した国際会議の提案書をめぐり色んな論議が・・・・

グリーン博開催時にこんな大きな国際会議が同時並行でやれるのか?

島崎局長の疑問に賀来社長が提案に大きなサポートをしていただき何とか決定する

うちの事務局のスタッフから国際会議のプロにお願いしたらと言う意見が出たが

個人的には何とか手ずくりでやれるのではないかと考えた

これもサーフィンの世界大会をやって、世界の人は言葉よりコミュニケーションが一番と

確信と自信をつかんだのが大きな理由かもしれない

身内の事務局スタッフからはブーイングだったが、これもまた自分のこだわりであり可能性への追求でもあった

国際会議出席者のピックアップと要請文書

世界最大の花の祭典 フロリアードの会長、英国王立園芸協会の理事など候補者を決定

その後はメールのやり取り

最初は相手のレスポンスも悪く心配な日々が続いた


あとやっかいな問題はシナリオだった

どのように構成し、どのようなまとめを考えるか!

われわれなりに事前調査を行いシナリオ構成を考え、それを元に島崎局長、阪本係長と何度も協議

松形知事が出席されるので島崎さんもナーバスになるのは当たりまえの事

県庁の金丸さんにもシナリオをご協力いただき

何回かのダメ押しのあとやっと了解が出たのだが・・・・・

問題はリハーサルができないこと、前日の事前打ち合わせの前に個別会談をして

各人の発表の意見の最終確認

司会の宮崎みどりさんとも大枠の打ち合わせ!宮崎さんの頭の回転はさすが!

全体のシンポジウムの飲み込みが早く非常に助かった

舞台監督はカンサイでお世話になった高田監督に来てもらい進行も手伝ってもらった

会場のサミットには約1000人の方が集まり、大いに盛り上がった


打ち上げはホテルではなくこじんまりとした洋食店を貸切に・・・・・

実はこれが大変受けたのだ

アットホームなおもてなしは各国代表のパネラーの心にいたく響いたらしい!!

この国際会議をやって思ったこと

やればできる! やれると思ったらやれる!!

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実施計画策定から本番終了まで約3年

私の中で一番大きな節目となる巨大プロジェクトであった

島崎局長、内ヘボさん、東郷課長、佐伯課長など事務局のスタッフや

グリーンダイナミクスの賀来社長、ヘッズの大塚社長、パーティふうの石井社長

など色んなブレーンとの月1回の定例会議はわたしにとっても大きな刺激となった


全体広報

目玉である英国式庭園の運営や全体運営

動員対策としてのステージゲストの選定と交渉

平日の市町村デーの出演者と打ち合わせ

夢花館の展示企画、カルチャー教室などの企画運営

世界花都市国際会議の企画、進行

テーマ館運営

都市緑化祭の運営、企画、進行


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様々な問題点が毎日津波のように押し寄せる

まさに自分がどこまでできるかという可能性をとことん追求した事業でもあったと考える

わがままな自分に付き合っていただいた島崎局長始め県庁、市役所の皆さんの

寛容な心には感謝の気持ちが一杯である

また一番気が合ったグリーンダイナミクスの賀来社長は本当に刺激になった

大塚社長の粋さ、石井社長の女性ならではの繊細さ

素晴らしい人たちとの出会いが私やスタッフを支えてくれた


このプロジェクトを通して人間的にも成長させてもらったと思うし、ネットワークもまた違った拡がりができたと思う

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天皇、皇后両陛下がお越しになる行幸啓イベント

式典の大型テント、テーマ館、などなどハード関係も大掛かり

しかも台風シーズンでもあり、天気の上でも気を抜けない

警察も一大体制を図って警備に当たる為すさまじいばかりの気を使わないといけない

式典、アトラクション、そして放流と言う流れ

私の立場はMRT宮崎放送商事のプロデューサー

UMKエージェンシーとジョイントを組み

ハードはTSP太陽、音響関係はAVCに依頼、

テーマ館、アトラクションはムーディックノイズに依頼した

アトラクションの個性あふれるステージは非常に印象的なものだった

テーマ館も今までにないような内容で参加者も興味深く見ていた

天候も完璧で素晴らしい大会になった

準備室の落合室長や松木主幹、得能さんなど事務局の皆さんには大変お世話になりました

私にとってもトータルのプロデュースで大きなハードルを越えた事業になったと思う

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青森から宮崎、鹿児島まで高速道路が開通する

開通するえびのんのパーキングで記念イベントをしたいという

道路公団、宮崎、鹿児島、熊本県の要請を受け企画を練る

東北の3大祭を是非持ってきたいという企画を出し

了解を得るがそれからが大変

秋田の燗等祭の事務局や青森のねぶた祭も頭を下げに行く

何とか燗等はみんな来て頂く事に

ねぶたの山車の作業も大変だったが今となってはいい思い出である


ステージは太鼓、3県の郷土芸能、クラシックカーの展示などを行い

大いに盛り上がった

日本で最初で最後の高速道路開通イベントをプロデュースさせていただいたことに感謝をしている

苦しかったがよき思い出の事業である

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970年の伝統を持つ米の祭

このポスターシリーズは独特な存在感があり人気となっている

アートデレクターはハニワの萩原さん イラストは井上さんと言う女性

しかし祭のポスターで同じ10年以上続くという物も珍しい

これも伝統の1つだと言われるととても嬉しい

現在は西郷村から美郷町になったが私の大好きな第2のふるさとともいえるぐらいの

ところである

大きな目玉は花火と歌謡祭

今まで来たゲストは前川清、山本譲二、五代夏子、門倉有希、北川武、

この歌謡祭に出演するゲストはビックになると言われている

一度はお出かけしていただきたい祭の一つである

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宮崎の平和台公園をステージにして世界の選手たちに日本の伝統芸能を見せたい

こんな宮崎県の要望を受け、平和台公園に赤と黒を基調にしたステージを設営

リハーサル、当日の朝まで雨という最悪のコンデションの中

ぎりぎりのスタンバイ!

構成は私が大枠を考えそれを再構築と言う形を取った

能、着物ファッションショー、神楽などで日本や宮崎を堪能してもらい天孫降臨で

「ににぎのみこと」と「このはなさくや姫」の出会いなどを演出

最後は子供たちの合唱と特効で盛り上げた

観客からたくさんのブラボーと大きな拍手喝采には心にジーンと来た

まさにこんな感動があるからこそ、頑張れるのだと思う

今回始めてタッグを組んだ丸山君のデザインやすべてのセンスに感謝したい

最後は天気も味方してくれ、スタッフ一丸となってやれた印象深い事業であった

終わった後の出演者、モデルたちの晴れ晴れとした顔は今でも忘れられない

打ち上げで飲んだ酒のうまかったこと!!

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ASPワールドツアー 宮崎プロサーフィン世界選手権1992

とんでもない波で世界中のサーファーに宮崎の名を知らしめた前大会

メンズのWCTはワールドチャンピオンを狙う若きヒーロー、ケニースレーターと

ベテランながらホットなサーフィンで魅了するマーティンポッターと言う夢の対決となった

このファイナルデーの木崎浜は大いに沸いた

勝負はコンテストの機微をし尽くしたポッツの貫禄勝ち!

宮崎プロの歴史に新しいページを刻んだ

ウイメンズはシャープのサーフィンのリサアンダーソンがパムパーリッジを下して初代宮崎プロウイメンズのチャンピオンとなった

コンテスト会場を離れても宮崎はグッドウェイブの宝庫!

あちこちのリーフポイントはいい波を求めてフリーサーフィンを選手たちは楽しんでいた

また宮崎プロのポスターとフラッグは大人気

お相撲さんがサーフィンする姿も日本的で外人サーファーに大好評であった


サーフィン大会の会場は朝が早い

朝4:00過ぎには会場に入り発電機や音響などのチェックをやり 日の出と海を見ながら

最終チェック

一息ついたときの朝の珈琲とDJの音楽は格別であった

サーフィンは自然との闘い、あるいは語り合いかも知れないがスタッフも自然を

愛でる心を持ってやっていたと 思う

太陽と波に感謝である!

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ASPワールドツアー91 の中で9戦目、宮崎プロのデビューはセンセーショナルだった

2つの台風が近海を通ったため記録的なビッグウェイブに恵まれたコンテストになったからだ

日本は波が小さいと言う外人選手たちのイメージをあっさり破り、MIYAZAKIの名を

世界中に知らしめたのである

波ばかりでなく、観客の多さにも外人サーファーは絶賛!

台風は話題となったポスターの風神雷神のせいもあったのかは謎であるが・・・・


コンテスト優勝者はオールトラリアのダミアン・ハードマン

彼はそのままレーティングを守りワールドチャンピオンのタイトルも手にした

トムカレンが1本も乗れずに本線で敗退したが、内海のビッグウェーブを見つけ始めて乗り、サーファー誌で

カレンズポイントと名前が付いたことも話題であった

私にとっても熱情をぶつけた渾身のイベントでもあっただけに、感慨もひとしおであった

宮崎県のイベント推進局の皆さん本当にお世話になりました

社員全員総出で行った事業と言うことでも一体感ができたイベントであったと思う

この大会の直後、自分の3歳になる直前の長男を病気で亡くしてしまったことが

大きな痛みの思い出となってる

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大淀川河川敷を一大ステージに考えて山本カンサイがプロデュースした大型イベント

台風の直撃を受けるが、なんとか決行する

私の立場は地元のトータルのコーディネーター

パンフレットが予想以上のスケール感を物語るが、私にとっては自分の力量不足の

反省するイベントとなった

この失敗があるからこそ今の自分があるのだとも思う、そんな意味でも記憶に残るイベントである

大淀川対岸の天神山からレーザーを飛ばしたのもこれが最初で最後であろう

イベント推進局の安田さんには色んなご迷惑をかけたことが心残りである

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